2024/04/07 22:07
このように、やっと自分が描きたいものが見つかりました。絵を描いている人は、それぞれ頭の中でその人が感動する「美」を絵に表現していているのでしょう。あるいは、後世に残したいという崇高な思いから描き留めているケースもあると思います。
私が例えば奈良の東大寺大仏殿(金堂)の絵を描いていたとき、千何百年もの昔の日本の社会で、見たこともない家を実にたくさんの人たちの手で作られたことが想像できないのです。当時、屋根瓦すら普及してい社会です。仏像を創る技術も、大きな木造の日本家屋を造るのですから使われる木は現在の家の柱とは比べ物になりません。太くて重くて、しかも適した樹木を探して切って運んでくる労力は当時の人たちのレベルから想像しても凄いなあと感心するばかりです。それを釘を使わずに建物として組み合わせて作るなんて、ありえない仕事です。そうした世界的にもレベルの高い建築技術が日本全国に伝わっていた凄い社会であったことが想像されます。瓦にも素晴らしい装飾が施されていました。このような建築技術をもった人たちが、飛鳥時代・奈良時代のころには奈良県だけではなく、日本全国で建造され始めたわけですから、日本という国の高い技術を持った職人さんたちの凄さに、私は絵を描きながらしみじみと感動に浸っています。